【素晴らしいフィナーレ】
この作品は楽曲と場面転換が良い作品だったと思います。
例えば幕開きのグレゴリオ聖歌(っぽいやつ?)から、ゴシック調の荘厳な音楽への転換。トップコンビの心情を描いた各々のソロは歌詞も良かった。楽曲と歌詞は好きでした。
印象的な劇中歌を用いたフィナーレは、本当に格好よくて。トリオのキラキラさ、特に和希そら君の釣り師っぷりは、見ていてニヤニヤが止まらなかった。そーちゃんがアダルトになってる!!お兄さんになってる!!
ロケットのお衣装は新調だったのかな?手拍子するのがいつにも増して嬉しいロケットでした(意味深)
そして、『これぞ宙娘!』『これぞ宙男!』と言えるような群舞には、目が足りませんでした。ほんと足りない。愛白もあちゃんのイイ女っぷりが炸裂してる姿を視界に入れつつ、娘役群舞デビューの花宮沙羅ちゃんの姿もチェックしようと頑張った。めっちゃがんばった。
男役群舞は、すいません澄輝さやとロックオン状態から脱せなかったので、なにもわかりません(笑)
マイ楽でやっと、ゆりかちゃん(真風涼帆)がキキちゃん(芹香斗亜)に吹き飛ばされてるのを知りました。銀橋で愛ちゃん(愛月ひかる)と誰かが何かしてたのについては、さっき知りました(笑)
ここの贔屓が攻めの格好良さで攻めてくる訳で(日本語がおかしい)なんかもう、オペラグラスを覗きながら震えているしかなかった。
そして時々視界に入ってくる若翔りつ。
わたしの中で確実に存在感を増す若翔りつ。
席によっては、贔屓の後ろにすっしぃさん(寿つかさ)が見えたりして、死ぬかと思いました。宙組上級生男役の色気ェ…!!あの厨二心を刺激する音楽とお衣装を、完全に味方させている贔屓の姿には、上級生男役の矜持を感じます。
まじでこのフィナーレがあってよかった。
フィナーレがなかったら頑張れなかった。
【平成最後の無駄遣い】
フィナーレは最高だったけれど、本当に面白くなかった。全く楽しめなくて、最近の一公演あたりの観劇回数と比べたら半分以下になっていた。
それにしたって、何度も遠征したし、複数回は観ているので、本編の幕が下りた瞬間に『うわぁーーー、無駄遣いしたわーーー(笑)気を取り直してフィナーレ観よ…』と苦笑いするのがツラかった。『白鷺の城』の高揚感も、フィナーレの興奮も、すべてを帳消しにしてくる本編。
毎公演2000人超の観客に見せる作品であるということを、理解しているのだろうか。これがプロの仕事かと思うと悲しくなる。頑張ったけど、わたしの感性では追いつけなかった。
どうして宝塚歌劇ってアンケートがないの?この気持ちをどこへぶつけたらいいの?
『宝塚の最大のコンテンツは、生徒である。』それはわかるし、そこが好きなんだけれど、オリジナル作品の出来が不安定なのは本当になんとかして欲しい。作品のクオリティのアベレージを上げて欲しい。脚本や演出の根本の部分の。
観劇中あまりにも退屈なので『何故わたしはこの作品を楽しめないのか』を考えに考えていました。その結果について述べます。
【ただひたすらに愚痴】
その1:レオナルドがわからない
レオ様のことはひたすらに好きになれないのであった。カテリーナがレオナルドと一緒になったところで、彼が現在の彼女を愛せるとは思えないんだなぁ。少女少女言い過ぎだし、過去を求め過ぎだよ。これ以上言ったら嫌われるよ?っていつも思ってた。結果的にはカテリーナ死んでるし。
裁きを恐れる彼女を救えるような男に見えなかったのが残念でした。
カテリーナをスケッチする場面が色っぽくて好きだったんだけど、千秋楽近くでは無言のレオナルドが恐ろしく感じてしまい。ロレンツォが彼女を見る視線と大して変わらないんじゃないかと。
どうしてもレオ様のことを男として好きになれなくて、どこかひとつだけでも好きになれるところを探そうと思ってオペラ上げたんですけど、圧倒的に顔が良かった\(^o^)/
彼がレオナルド・ダ・ヴィンチである必要性はあったのだろうか。ダ・ヴィンチをモデルにしたルネサンス期のとある画家のお話…だったら、もう少し違ったのかも知れない。
その2:カテリーナになりたくない
沢山の男性から好意を向けられるっていうのは、ドリームなんだろうけど、向けられた好意のすべてが歪んでいて、なんだろうか、地獄なの?みたいな。
ロレンツォは美しい宝石として欲望のままにカテリーナを求め、ジュリアーノはブラコンを拗らせた上でカテリーナに迫り、グイドは脅迫と洗脳でカテリーナを支配しており、レオナルドはカテリーナの現在を見ていない。
確かに、ゆりかちゃん、キキちゃんやずんちゃん、愛ちゃんに迫られたらドキドキしちゃうけれど、物語としてね、登場人物としてね、この人達めっちゃ怖くない?ひとりくらいまともな矢印があったら、狂気も艶っぽく感じられるけれど、全員がなんかおかしいんだもん。
カテリーナが幸せだった瞬間って、あったのだろうか。
『死んで自由を得た』みたいな、最後に天使達と踊ってるカテリーナが可哀想を飛び越えてゾッとした。レオナルドと一緒に居て、もっと楽しそうで幸せそうな場面があったら、こんな印象は抱かなかったのになぁ。羽根の前で腕を広げるだけじゃなくて、もうちょっとなんとかやりようがあったよね。あれは何だったんだ…。
その3:天使と少女
とにかく『天使』と『少女』って言い過ぎ。
あと、ビンタし過ぎ。猪木かよ。
その4:サライの存在
サライは頭のおかしな子にしか見えなかった。もしかしたら病気の家族が居てお金が必要、とか、莫大な負債を抱えている、とか想像する事が出来なくもないけれど、エピソードが中途半端で、ただ盗癖があって物事を短絡的にしか考えられない子どもにしか見えなかった。エグい美しさを目指すなら、教会での惨劇を目の当たりにしたサライが発狂して逃げ出す…それを追いかけるペルジーノ、とかなんとかして、緊張感を保った方が美しかった。けど、それじゃあ宝塚歌劇としてアウトだもんね…。とはいえ、どうして工房仲間たちの人情物語みたいな方向に持って行こうとするのか全く理解できなかった。
その5:復活のロレンツォ
ロレンツォが不憫すぎて。メディチ家の長男であるが故に、仮面を被って育ち、鳥を殺すような嫁と結婚して、家と弟のために用意したお見合いの席で、空気を読まない画家に『部屋くれよ』とか言われたり若干情緒不安定な弟に誤解されて殺されかけたり。メディチ家が後世に名を残す名家になってよかったね。そうでもしないと斬られ損だよね。
ロレンツォって可哀想なヤツだなと思いながら見てたから、メディチの仮面の歌はとても刺さった。
謎の演出のせいで、ロレンツォは超お金持ちのはずなのに、同じ衣装を延々と着させられたり、死んだように見えて何事もなかったかのように生きてたり。快気祝いの場面で客席に笑われるロレンツォが不憫すぎて泣けた。
ダ・ヴィンチの物語よりロレンツォの物語の方が面白く書けたんじゃないのかと思ったりもしました。
その6:歴史的名画の使い方
『岩窟の聖母』も『モナリザ』も、時系列を無視してまで、無理矢理出す必要あったの!?
使い方が雑すぎて本当に嫌だった。特に『モナリザ』については、許せなかった。最後まで受け容れられなかった。ただただ無理矢理過ぎてシラケた。オチがこれっていうのが、本当につらかった。
【罪深い者は誰か】
批判してばかりで、というか批判とも言えないような、内容すらないような感想記事になってしまって申し訳ないです。もう少し感想を整理したかったのですが、これ以上時間が経つと何もかも忘れてしまいそうだったので。
常々『冷静になったら、ファンとして終わり』だと思って、クレイジーな推し事に毎日精を出している訳ですが、意外にもわたしは演目に関してかなりシビアなんだなということがわかりました。贔屓が出ているからといっても、つまらないと判断した演目には足が向かなかった。意外にクレイジーでもなかった。
わたしは宝塚歌劇150周年の運動会に行く気満々で、むしろそれを楽しみに生きてる節もあるんだけれど、そんなに確実な未来でもないかも知れないと考えさせられる作品でした。