すーぱーからしちゃんねる

からしがみたものをまとめたものです。

歌舞伎座六月大歌舞伎『桜姫東文章』下の巻

f:id:karashi-channnel:20210613113122j:plain
魔除けとラップ

【期待】

四月に上の巻を見て、まんまと頭がおかしくなったので、復刻版ポスターを買いました。B1サイズの巨大なポスターは、我が家の魔除けとしてパネルに入れられ、飾られています。
一ヶ月間、お芝居の余韻を大切に抱いて、下の巻観劇の日を待ちました。図書館で『鶴屋南北全集』を借りて脚本を読み、本の通りだったところ、割愛されたところを把握してニタニタしてました。下の巻の分は読まずに取っておきました。遂にやって来たその日の朝には、仁左衛門様のお芝居を観に行く夢(なんか関西弁でオラついてるニザ様が格好良かった)まで見ました。ものっすごく楽しみ。このご時世、芝居の幕が必ず開く絶対はない世界ですから。歌舞伎座の椅子に座るわたしの気持ちを、なんと記せば伝わるでしょうか。

【所感】

お、お、おもしろかった~~~!歌舞伎の演目って、ある程度予習をしたり、開演前に筋書を読んでから挑むので、オチを知っていて見ることが多いのだけど、これはオチを知っているからこその面白さだった。芝居が立体的になって、目の前に立ち現れることの面白さを、改めて、新鮮に、知りました。清玄が落雷と共に生き返ったり、桜姫がめっちゃ柄の悪いヤンキーになったのに、しれっとお姫様に戻ったりするのに、予想以上にウケました。奇想天外すぎて、いちいち「えーっ!」って驚きたくなる。清玄が「このタイミングで!?」というタイミングで、権助が弟であることを明かすのにも「えーっ!?」であった。包丁が首に突き刺さった清玄がまだ舞台上にいるのに、下手から権助が出てくるのにも「えーっ!?」だった。これには客席も驚きでざわついていた。面白さとは、連続する楽しい驚きなのだ。

『岩淵庵室の場』
吉弥さんの長浦と、歌六さんの残月とがコミカルでかわいい。劇中、一番のお気に入りの台詞が長浦が残月に向かって言う「この!わいわい坊主!」です(わいわい坊主って何なのよw愉快だなw)美女をみれば、すぐに言い寄る残月の懲りないゲスさ。長浦の焼き餅もかわいい。懲りない夫婦よね。そしてやっぱり江戸歌舞伎の人はカジュアルに人殺しをするんだから。

ここで墓穴を掘っている仁左衛門様の権助が、めっちゃ上手に穴を掘ってるので見逃さないで欲しい。墓穴掘りが上手いってどういうこと。しかも格好良いってどういうことなの。何度も権助を演じていれば、穴掘りも上手くなるってことなの?

玉三郎様の桜姫は相変わらず可愛い。「会いたかった、会いたかった」と権助にすがりつくのが可愛かった。目が本気だった。権助とお揃いの刺青を見せられ、長浦が「こまったお姫様だよ!」と嘆いていたけど『本当にたいしたお姫様だよ!』って思った。長浦は桜姫が刺青を入れていたのに気が付かなかったんかい(笑)やっぱり、桜姫は夜な夜な自分で墨を入れていた説は有力。

花道で残月が「お囃子さん!囃子が違った」と呼びかけて捌ける可笑しみ。こういう虚構と現実を行き来する面白さは、昔からあったものなんだなあと。

雷が落ちて清玄が生き返るのは知っていたけど、実際に目にするとぶっ飛んでてびっくりした。生き返っても白菊との因縁を話し始めたり、その上殺そうとしてくるんだから、桜姫にとってはえらい迷惑な上にめっちゃ怖いよね清玄。襲いかかる清玄に桜姫が経本を投げつける場面、海老反りになった桜姫の手からパタパタと弧を描いて飛ぶ経本の景色がなんとも整っていて、その美しさに一瞬、自分の思考が釘付けになったのを感じていた。

出刃包丁が喉に突き刺さった清玄と、下手から出てくる権助はひとり二役のはずなのに、すり替わったことに気が付かず、マスクの中で「へっ?」と呟いてしまった。おとなになると、普通に暮らしている中で、ピュアな驚きってあまり経験しなくなるものだけど、この驚きは本当に子どもの頃に得たような、ピュアな驚きだ。それが愉快でたまらなかった。

恐ろしさに震えて、「ごんすけ・・・」と囁く桜姫がめっちゃくちゃ可愛かった。他にも、台詞にならないような小さな声でのつぶやきや囁きのひとつひとつがが可憐で、本当に可愛かった。ヒロインとしてこちら側の心を掴んでくる。


『山の宿町権助居住の場』
権助どんだけ悪いやつなの権助
なんかお十が不憫でならなかったんだけど、オチを知った今では彼女の行動も理解できます。彼女は吉田の家の人だった。

そして、すっかり蓮っ葉な女郎に仕上がった桜姫である。ヒロインとして心を掴まれてから見せつけられる、そのヤンキー根性。女郎になっちゃっているのである。女郎言葉を話していても、お姫様言葉は抜けない。そこになんとも彼女のヤンキー気質が漂うのである。しかも設定が凄い。「風鈴お姫」と呼ばれて人気が出るが、毎晩枕元に清玄の霊が現れて客がつかない。桜姫にとっての清玄のウザさったらない。死んでも桜姫に執着する清玄も凄いけれど、女郎として適応しちゃう桜姫も凄い。ぶっ飛んでいる。

せんべい布団に枕二つ並べて「たもたも」言ってる人間国宝×2が可愛すぎて、歌舞伎座の2階席から声を上げて立ち上がっちゃうかと思った(絶対ダメ)これでもかってくらい見せつけてくるんだから。いいぞ、もっとやれ。オペラグラスめっちゃ曇った。
しかし、桜姫を放って置いてまで行きたくなる寄り合いの仕出しって、どんだけ美味しいんだろうか(食い意地)

謎のタイミングでめちゃくちゃ凄い情報を出してくる清玄の霊。
「今!?このタイミングで!?しかも清玄と権助が兄弟って!?今言うの!?」って思いながら見てた。この後、清玄は登場しないけれど、ちゃんと成仏出来たんだろうか。これからも桜姫に憑いてゆく気満々な気がして、心配でならない。

桜姫が権助の悪行を知って、すぐに仇討ちモードになれるのも、江戸時代の価値観ならではだなと思う。現代に創られた劇だったら、そうはならないと思う。権助へのラブか、親兄弟の仇か、の葛藤の描写が想定外にあっさりしている。子どもを手にかけるときに一応の葛藤は見せるけれど、結果的には殺している。現代の女性だったら殺せないんじゃないかって思う。お話全体の、桜姫の心情の変化と物語の魅力を、フェミニズム的に読み解いてくれる人がいたら、面白いだろうな。


『浅草雷門の場』
驚きの大団円である。結末は知っているものの、驚きの力業だった。あっさりお姫様に戻ってしまう桜姫。びっくりしたけれど、違和感が全くないのである。桜姫が何を考えているのか、わたしにはさっぱりわからない。でも、嫌いじゃない。いや、結構好きだ。深く共感できるキャラクターではないのに、とても魅力的に見えるのは不思議だ。わたしにとっては、わからないお姫様だからこそ魅力的なのかも知れない。
しかも、フィナーレが三社祭っていう、カーニバルなんですよ。お祭りなんです。すごい。今まで仄暗いセットの中で繰り広げられてきたエログロの世界が、華やかなお祭りの場面で終わるんです。なんじゃこりゃ。その上、清玄と権助を演じていた仁左衛門さんは、全く別人の役として晴れ晴れと登場する。唖然としてしまった。世界観がぶっ飛んでる。
役者が並んで「今日は、これきり」と三方礼するのがなんとも華やかなんだけれど、その華やかさにびっくりし続けながら熱い拍手を送っていました。

【ぶっ飛んでいる】

現代のエンターテイメントの価値観では、このような物語は生まれないと思う。すごい。ぶっ飛んでいる。『桜姫東文章』が人気の理由がわかった。わかったけれど、頑張って言語化しようとしてみたけれど、「すごかった」としか言えないのが悔しい。
『マイ・ファースト桜姫』が『にざたまの桜姫』で良かったなって思いました。そうか。これが『桜姫』か。これからもきっと、何度も再演されるだろうこの作品を、いろんなキャストで見て、自分自身も年齢や知識を重ねて、新しい見方や発見がある度に、わたしはこの『桜姫』を思い出せるんだなあと思うと、わくわくするし、うれしい気持ちになります。

【関連記事】

karashi-channnel.hatenablog.com