すーぱーからしちゃんねる

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歌舞伎座『二月大歌舞伎』-袖萩祭文〜連獅子-

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素敵なポスター

【その夜】

わぁああっ!!と拍手をしているうちに、徐々にその手が舞台に吸い込まれていって。両の手がどんどん舞台に伸びてしまう現象。そうそうあるもんじゃなくて。この感覚。今日のは久しぶりに手が伸びたなあと、三越を横切り、和光を背に有楽町まで急ぐ早足と共に、頭のなかは感動と驚きがぐるぐるとしていた。

わたしは歌舞伎を見始めて日が浅いので、その夜に見たものの尊さ素晴らしさを、経験を以て感じられている自信がありません。それほどに素晴らしい舞台でした。物語でした。

令和三年2月2日。節分。その夜。

【期待】

中村屋ファミリーの特番を観て、『桜姫』も『牡丹灯籠』もチケット取っていたのになあと悔しがり、あんなに準備を重ねた舞台だったのに未だ日の目を見られていないことも悔しくて。それでも、番組の最後に、勘太郞さんと長三郎さんが、連獅子の稽古に励む姿に、希望をもらったんです。そして、「この子たちの仔獅子を観に行かなくちゃ」と強く思った。この頃、あまり体調が良くなく、明日の自分の調子すら読めず、どうして初日の券を取ろうと思ったのか本当に謎なんですけれど、思い立って取った券が初日でした。
まだ歌舞伎を観るようになって日が浅いので、演目の予習は欠かせません。『連獅子』は夏に観ていたので、どんなものか知っていましたが、『袖萩祭文』ははじめて観るので、お話について行けるように本を読んで予習をしてから挑みました。イヤホンガイドは使用せず。なかなか仲良くなれないんですよねイヤホンガイド・・・。

【袖萩祭文】

こんなに泣かされるとは。長三郎さんは出ている時間も長く、仕事も多く、泣かせる芝居もあるのに、危なげなところが一切なくて、健気で、グズグズ泣いてしまった。七之助さんの袖萩の、悲しき母であり娘である切なさにも泣きました。「深みのあるお芝居を観たぞー!」という充足感がありました。

袖萩の手を引いて歩くお君ちゃんが、雪で白く染まった(実際には白い布?が敷かれている)花道で転んだのをみて既に泣きそうになった。なんかもう、すごい不幸。雪景色の中では黒子も白くなるということを初めて知りましたが、それも寒そうで、すごい不幸。母の手助けをするお君ちゃんのテキパキした様子も、袖萩が彼女を武家の娘として恥ずかしくないように育てたのが見えてなんかもう、母の気持ちになって哀れんだよね。不幸だ。不幸すぎる。「あったかいお汁粉を作ってあげるから、お母さんと一緒に、おばちゃん家来な」って言いたかった。袖萩に着物をかけてやるお君ちゃんも、テキパキとしていて迷いがなくて、寒そうな芝居もするもんだから、健気で泣けてくる・・・。
袖萩の三味線が、若干調子外れ(チューニングがあわない感じ)で、それも辛気くさくて泣けるんだこれが。

そして、ふとオペラグラスを上げて見てしまった、袖萩の父と母の、なんともいえぬ表情よ。浜夕の中村東蔵さんのお芝居、本当に良かった。実際にお母さんなんじゃないの?何人か産んでるんでないの?っていう母性だった。しかも、夫と娘が同時に切腹しちゃって、ほんとに可哀想。正直、どうして袖萩は切腹したんだか、直方は梅の枝で切腹できるのかと展開について行けなくなったりもしましたが。風流なのはわかるんだけれど、ちょっとびっくりした。

実は勘九郎さんを舞台で拝見したのは初めてでした。「大きい!」と思いました。オーラや存在感が大きいのです。花道で踏み鳴らす音も、声の響きも、とても大きくあたたかい。最後の抱擁が胸に刺さりましたね。「ととさま!」とお君ちゃんに声をかけられた時の表情が忘れられません。

【連獅子】

やっぱり長男ってすげぇなって思いました。長子っていうのは、それなりの家の者でも背負わされるものがあるっていうのにさ、勘太郞さんの背負っているものの重さ大きさを後ろ姿に感じてしまって、花道に出てきた瞬間、赤い毛を見て泣きました。勘太郞さんの集中力は凄まじく、純真な子供だからこそあのゾーンまで到達できるのではないか。大人に出せるオーラではない。初めて毛を振る瞬間の、客席の熱の高まりを感じました。しかし、わたしは前シテで既に泣いてましたけどね。狂言師バチバチとした凜々しさに痺れていました。

勘九郎さんの、誇らしげに仔獅子を見下ろす視線や、毛降りの息づかいに、この夜を忘れまいと思いました。何度もおなかの中で熱いものが踊っていた。自分の中に見つけたこの感覚にも、驚きました。


【レジェンド】

軽い言葉で表現することになるけれど、これこそレジェンドなんだなあと思いました。きっとこの一ヶ月で、中村屋のお坊ちゃんたちは、驚くほど成長するんだろうなあ。とうに中日を過ぎたこの演目も、更に深く大きくなっていることと思います。

もっとこの世界を知りたいから、深く語りたい自から、分の心に火を付けたいときに、歌舞伎を見に行こうと思います。

もうひとりの仔獅子が毛を振るその日にも、火の玉みたいに踊っていた彼が、いつか親獅子になる日にも、わたしはそこに座っていたいです。